持田 敦子 Atsuko Mochida

1989年、東京生まれ。既存の空間や建物に障害物、増設物などを持ち込むことでパブリックとプライベート、内と外、上と下などの関係を反転させる作品を手掛けるアーティスト。通常、空間のもつ特性から私たちは空間の用途を推測するが、持田の作品は二者の関係を分断、或いは逆転させることによって、日常あたりまえのように考えている空間やものの機能の意味を再発見させる。

主な展覧会 Selected exhibitions

  • 2021 「Steps」TERADA ART AWARD ファイナリスト展
  • 2021 - 「拓く」Open Storage 2021, MASK [MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA]、北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想、大阪
  • 2021 「衝突(あるいは裂け目)」北アルプス国際芸術祭 (2020年開催予定がコロナにより21年に開催)
  • 2021 「T家の転回」最終公開、茨城県水戸市
  • 2020 札幌国際芸術祭 (コロナの為、計画中に芸術祭が中止)
  • 2020 「距離の問題、 空間の変容、 位置のゆらぎ」グループ展『2020年のさざえ堂 – 現代の螺旋と100枚の絵』、太田市美術館・図書館、群馬
  • 2019 「浮く家」Reborn-Art Festival 2019、宮城県
  • 2019 「Steps」象の鼻テラス、神奈川県横浜市
  • 2019 「それはいかにして起こらなかったか」3331 Art fair、3331 Arts Chiyoda、東京
  • 2019 「Floating Room 1, 2」ライプツィヒ、ドイツ
  • 2018 日本・キューバ現代美術展『近くへの遠回り』帰国展、国際交流基金、スパイラルガーデン、東京
  • 2018 日本・キューバ現代美術展『近くへの遠回り』 Centro de Arte Contemporaneo Wifredo Lam、国際交流基金、 ハバナ、キューバ
  • 2017-2019 「T家の転回」茨城県水戸市
  • 2016 「Push the Wall」ZK/U ベルリン、ドイツ
  • 2016 「Crack」Universe 69、co-ume lab.、東京
  • 2015 「Piercing The Prison」旧刑務所、 ワイマール、ドイツ
  • 2015 「The Cellar」Universe 69、イェラヌヒ・マリアム・アスラマチアン美術館 ギュムリ、アルメニア
  • 2014 「風景の裂けめ」『札幌市立山鼻小学校x持田敦子」、AIRプランニング、北海道、札幌市
  • 2014 「ゆかした」グループ展『六甲ミーツ・アート 芸術散歩 2014』、兵庫県
  • 2013 「Seaside Hotel」廃墟のホテル、香川県小豆島
  • 2013 「壁」武蔵野美術大学 卒業・修了制作展、武蔵野美術大学、東京

作家について About the Artist

はじめに

コロナ禍で暫く中止や延期になっていた多くのアートプロジェクトが2021年の後半になると堰を切ったように動き出したということもあり、いくつかの展覧会をまとめて見学することができた。中でも持田敦子のプロジェクトを何度か見る機会があり、そのいづれもが非常に印象深かった。このアーティストの作品を時系列で見直すことで、そこに通底するもの、その根源を見ることでこのアーティストの活動と特徴が見えてくると思う。中でも最も力強い作品として印象に残ったのが水戸の「T家の転回 」と大町の「衝突(あるいは裂け目)」。それらの作品を見た際に、全く別のものを昔見たとき感じた感触に近いと思った。まずそれを振り返ることでその感触の根源を考えてみたい。

2011年の3月12日、東日本大震災の翌日、長野県の北部から新潟県にかけて大きな地震があった。東日本大震災の混乱の影で津波や原発に比して大きな報道はされなかったが、長野県北部地震と呼ばれる震度6強の大きな地震で、長野北部から新潟南部にかけて全半壊の家屋が多く出た。当時はあまりにも大きな震災の後遺症もあり、社会自体が非日常的な日々の連続のようであったこともあり、個人的にも社会的にもいろいろなことに不安を感じやすいナイーブな時期であった。感覚的な不安を感じた風景として覚えているのもののひとつに同年の秋に新潟県で目撃した工事現場がある。日本の古い家は礎石という石の上に柱が乗っているだけのものが多い。つまり、仮に大きな地震で揺れると家が礎石からずれて落ちてしまうことになる。私が見たのは地震で礎石から落ちてしまい全体が歪んでしまった古民家を持ち上げ、歪みを直しつつ、家を安定した場所に移動させ、礎石に変えてコンクリートの基礎を流し込もうとしているところだった。家は2メートルほど高さに枕木で持ち上げられていた。

新潟県十日町市松之山、マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」、2012年修復工事の際に撮影

その家は「大地の芸術祭」でマリーナ・アブラモヴィッチの作品を展示している「夢の家」という古い家で、実際のところ、アート作品としてその内部は既に日常の生活との連続性は断ち切られている。それでもその外観からはまだその中にかつてあったであろう日常を想起させ、その地面から引き裂かれるようにして断ち切られてしまった空中に「浮いた家」と亡霊のようにそこに浮かぶプライベートな日常空間からは不安な感覚、揺さぶられるような強い心の振動を感じた。当時から既に10年の歳月が流れたが、持田の作品を見たときに当時の心のざわめきが呼び戻され、新潟で見た光景を思い出したのだ。作品がネガティブであるのではない。眼に見えるものと、見えない力とがせめぎあい、相乗効果で「もの」自体には無い新たな力、感覚を見る側に生じさせる。そのようにして新たな力を作り出すことで磁場を作り出す。持田のアーティストとしての作業とはそうしたところにあるのではないかと思える。

持田敦子は2013年に武蔵野美術大学日本画学科を卒業。2014年より東京藝術大学大学院先端芸術表現学科で1年過ごし、交換留学で1年ドイツにゆき2015年からはドイツのワイマール・バウハウス大学MFA, Public Art and New Artistic Strategiesに在籍し、2018年に修了している。近年はReborn-Art Festival (2019)、札幌国際芸術祭(2020*1)、北アルプス国際芸術祭(2020*2)など大規模な企画展の招聘も受け、また2021年にはMASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)に参加するなど、評価の高い作品をつくり続けている。いづれも日常の空間意識を変節させ、パブリック、プライベート、或いは作品と観客の関係性を交差させつつ、私達が思い込みとして持っている家や壁、床などの常識的なありようを非日常的な状況に置き換えることで、作品を圧倒的な存在感で提示することに成功している。

初期の作品 壁

そのような持田の作品の特徴は2013年の武蔵野芸術大学の卒業制作展で展示された作品、「壁」に既に現れていた。大学の校舎の階段を一辺6メートルほどの壁で遮断。壁の大きさや壁紙(作家は少女的な柄であったという)も作家自身のベッドルームとほぼ同じにしていた。つまり、作家自身の「プライベート」が公共の場で階段を登り降りする通行人に容赦なく引き返して別の導線を使いことを余儀なくさせる、人の行く手を阻んでいたことになる。当時の写真をみると忽然と現れ、階段に斜めにつき刺さった壁は、大学の階段の手摺などを見事にあたかも初めからそうであったかのように壁のなかに飲み込み、それはあたかも自然に存在しているように見えつつ、同時に圧倒的に唐突な存在感をも兼ね備えている。

壁 / 2013 / 武蔵野美術大学卒業・修了制作展 Ⓒphoto: Yuichiro Tanaka, photo reposted by the permission of the artist
壁 / 2013 / 武蔵野美術大学卒業・修了制作展 Ⓒphoto: Yuichiro Tanaka, photo reposted by the permission of the artist

2014年の六甲ミーツ・アート 芸術散歩がこのアーティストにとっての初めての学外での大きな展覧会への参加となる。作品展開場所として階段を選んだ前年の展示に引き続き、ここでは公共のカフェスペースを占領するようにして、工事現場に見られるような単管足場を使って螺旋階段を思わせる構造を作り、公共のカフェスペースの空中にプライベートな居住空間を作っていた。

ドイツへ 

2015年からはドイツのワイマール・バウハウス大学に在籍。ここは1996年開校したバウハウスの名前を冠した国立の大学で、かつてバウハウスの最初の拠点になったワイマール校舎を使用している。持田が在籍した修士課程のPublic Art and New Artistic Strategiesは、バウハウスがカバーする諸領域を横断するコースとして知られている。これまで階段に関わるいくつか作品をつくってきたアーティストがアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの設計した美しい階段*3でも知られるワイマールのバウハウスを創作活動の場として選んだことは興味深い。そして建築、デザインなどとファインアートの関係性に新しい試みを行おうとしていたバウハウスと持田の作品展開は非常に融和性が高いとも思え、確かにこのドイツ滞在中に持田の表現はより幅を広げ、深化をしたようだ。

そうした新たな作風のひとつに2015年にワイマールの旧刑務所で外壁から刑務所内の独房へと円環を貫通させ制作されたPiercing The Prisonがある。既存の建物に暴力的に加えられたような痕跡は1970年代のゴードン・マッタ=クラークを彷彿とさせるが、持田のこの作品はもともとそこにある磁場を上手に利用して作品の緊張感を高めることに成功している。円環は壁にきっちりはめ込まれ、閉ざされている。手首にかけられた手錠のように。円環の「拘束」から逃そうとすると壁がさらに壊れてしまいそうに見えるほど緊迫感がある。

Piercing the Prison / 2015 / 旧刑務所、 ワイマール、ドイツ Ⓒphoto: Moran Shavit, photo reposted by the permission of the artist
Piercing the Prison / 2015 / 旧刑務所、ワイマール、ドイツ Ⓒphoto: Moran Shavit, photo reposted by the permission of the artist

また、2016年にベルリンのレジデンスZKUのオープンスタジオでは Pushing the Wallという作品を展示している。ギャラリーのエントランスを入るとすぐそこ壁がある。”There is a small room.  If you need more space, try to push the wall” と指示書が貼ってあり、観客は目の前の壁を押すように促される。大きな壁はなかなか一人では動かせず、何も知らない観客が一緒になって結果も分からないまま壁を押していると、中でガラスが割れる音がして、壁の下から水が流れ出してくる。観客が集団となって破壊しているのは実は壁の中にプライベートな趣の部屋である。ここで2013年の「壁」にあったプライベート/パブリックの立場が反転され、観客が能動的なパブリックとして初めて作品の一部に取まれたことは大きい。そしてこの作品では能動的なパブリックはプライベートを知らず知らずに押しつぶす。この「押す」行為を作品の一部にする表現は後の「T家の転回 」や2020年の太田市美術館、2021年のMASKでの展示へと発展してゆく、持田にとって新たな手法となる。

Push the Wall / 2016 / ZKU, ベルリン、ドイツ ⒸAtsuko Mochida, photo reposted by the permission of the artist

T家の転回 と 現在

ワイマール滞在の傍らで、水戸の偕楽園にほど近い住宅街の一角の木造住宅で制作された作品がある。家の中央を直径5メートル切り抜いた上で回転させられる「T家の転回」というこれまでの活動の様々な要素、成果を結実させたような作品を完成された。そこは作家の祖母が長らく住んでいた家であるが、祖母との共同生活をしながら、事前にその家の増改築の歴史をリサーチしている。家は人と共に生きている。筆者も様々な古民家アートプロジェクトを通して事例を見てきているが、もともと木造の家は住民の生活に合わせて増改築が行われることが多く、かつては一般的であった。家の構造や材などを見ていると、どこかで入れ替えられた箇所があったり、つじつまを合わせるための職人の工夫が見て取れる。このプロジェクトは持田の既存の建築への介入でもあるが、穴をあけたり壊すことに重点はない。むしろ整骨診療の専門家のように、見えない分節をなぞりながら新たな組み立てを行う、この家にとっての最終的な「改築」に近い制作であっただろうと想像する。様々な専門家と相談をしながら、家の構造を紐解きながら丁寧に組み立てなおす、物を作る作家から構想する作家への大きな一歩である。

T家の転回 / 2017 / 水戸市の民家 Ⓒphoto: Kousuke Shige (ogopogo film), photo reposted by the permission of the artist
Ⓒphoto: Kousuke Shige (ogopogo film), photo reposted by the permission of the artist

持田の作品は家の一部を円形に切り取って、その円を回転させることができるようにする者であった。日本の家は規格的フォーマットによって基本的には出来ている。つまり回転させても寸法のつじつまは合ってしまう。しかし畳間が渡り廊下になったり、廊下が床の間の前に現れたりしながら単純ではあるが回転させるたびに機能と形態が思わぬ衝突をしていきながら見た事の無い面白い空間が見えてくる。まずこの家が作品として発表されることでプライベートな空間がパブリックに解放される。作家によるこの最終的な改修は家は解体前の数年間だけパブリック場へ家を解放されるプロジェクトであった。ベルリンのギャラリー展示のようにこの作品においては観客の押す行為を通して家のプライベートな空間が外気に触れ、パブリックへと押し開かれてゆく。回転させるために呼吸を合わせゆっくり柱を押している観客を見ながら、お寺で見かける輪蔵を思い出した。反時計回りに柱を押すことで時間軸を遡り、ここで起こったことを振り返る。そんな作品だった。

2019年に持田はReborn-Art Festivalへ参加。宮城県石巻市の網地島では東日本の震災後、補助金をもとに、それまで空き家だった家の多くが取り壊される一方で、持ち主がわからない物件や、何らかの事情で解体に踏み切れなかった家はそのまま残されている。作家の言葉の通り「宙に浮いている」家である。持田は実際にそうした家を一部地面から少し浮かせている。同じ頃、長野の北アルプス国際芸術祭と札幌国際芸術祭の話も進んでいた。北アルプスは当初2020年に予定されていたがコロナの影響で延期になっていた。2021年も後半になってコロナの状況が落ち着いた瞬間を狙って実施され、ここに展示された「衝突(あるいは裂け目)」は「回転する家」「浮く家」と続く家のシリーズの中では印象的に最も強い作品であった。

山間の集落に2軒の家が建っている。そのうちの手前の1軒の一部がダルマ落としで弾き飛ばされたようにして、家具や直前まで生活していたような形跡もそのままに、隣の家の方へ飛んでそこへ突き刺さってる。ダイナミックな勢い、「動」を見せる部分と、その仕上げの細やかさからくる突然時間が制止したような「静」の絶妙なバランスはこれまでの作品には見られなかった新たな展開ではないだろうか。会場となった大町は日本海の親不知付近から太平洋側へと貫かれている断層、糸魚川静岡構造線が走っているエリアで、大陸から切り離された日本がプレートに押されて二つ割れた折れ目の一部にあたる。場の特性を事象として説明するようなありふれた作品はよく見かけるが、ここで場の特性を出発点にして自律した作品に昇華させる手腕は特筆に値すると感じた。

衝突(あるいは裂け目)/ 2020-21 / 北アルプス国際芸術祭 (写真は「裂け目」部分。手前の家の一部が奥の家に突き刺さっている) Ⓒcourtesy of the artist, photo by ArtTank
衝突(あるいは裂け目)/ 2020-21 / 北アルプス国際芸術祭 (「衝突」部分) Ⓒcourtesy of the artist, photo by ArtTank

札幌国際芸術祭ではモエレ沼公園で巨大な階段の作品を制作する予定であった。2014年の六甲、或いは2018年に国際交流基金のプログラムにおいてハバナで屋外で制作した階段などが原型にある*4。札幌国際芸術祭は残念ながらコロナの影響で中止になってしまったが、公開されたプランを見ると足元から一段一段、鑑賞者の身体のスケール、動きと同じ連続性で有機的に上へ伸びていく美しい作品になりそうな印象があった*5。

持田敦子の作品は既存の場、或いは観客との関係性の中から新たな磁場を作り出す。おそらく持田の作品において最も重要なのは場所の条件であろうと思う。既存の場所の力にどのような見えない力をぶつけるのか。この見えない力を既存の場所から引き出す、あるいは観客を動員して作り出すのが持田敦子のこれまでの作品に通底する面白さであったろう。一方で作品そのものと相乗効果をもたらす外的要因が少ない美術館のような空間でこのアーティストは何ができるだろうか。おそらく次々と新たな手法を開拓しながらもアイデアも深化させてきたアーティストなので新たな展開を試みてゆくのだろう。そして場所と同時に資金調達と機会をいかに増やして行けるかという難問がある。作品をつくっては解体せざるを得ないインスタレーション作家がみな直面する問題があり、持田の作品はもっともその典型的な例でもあろう。このようなアーティストの活躍をわたしたちは社会的にどのように持続させていけるのか。すぐに壊されてしまうイベント限りのアート作品ではなく、持続する活動、作品としてどのようなフォーマットが可能なのだろうか。このようなアーティストが活躍できる新たなシステムを考えなければいけないと、ますます感じる。

ArtTank 近藤俊郎

本文内 注

*1 札幌国際芸術祭2020はコロナの為、計画のみで中止になっており、実現されていない。

*2 北アルプス国際芸術祭は当初2020夏に開催される予定であったがコロナの為、延期され2021年秋に開催された。

*3 バウハウスで教鞭をとったオスカー・シュレンマー(1888-1943)の階段を描いた作品が良く知られるが、これはグロピウスの設計したデッサウ校の階段である。一方でグロピウスが最初にワイマールで学校としてアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデから引き継いだのがヴェルデが設計した美しい螺旋階段が特徴的なアール・ヌーヴォー様式の建物であった。

*4 小金井のアパートで単管パイプをつかって階段状の作品をつくった2013年の作品が実際の最初の作例である。2018年のキューバのハバナに展示された階段の作品は国際交流基金のプログラムで、同年に東京の青山スパイラルにて帰国展が行われ、足場を使った再構成作品が屋内に組み立てられた。キューバで展示されたものは単管足場ではなく、ワイマールの階段を彷彿とさせる螺旋が高く伸びてゆく形態である。

*5 その後、寺田倉庫で行われた展示でその片鱗を伺うことのできる作品が展示されている。ここでは空間の制約上、階段の形をした止まった彫刻のように見えてしまった。作家もより有機的な作品となることを目指していたという。寺田では一緒に展示したドローイングでも示されていたように「システム」としての階段を作ることが意図され、様々な空間に展開可能なシステムとしての階段を、取り急ぎ「倉庫」に入れているものの今後はそこから外に展開していく、という設定で制作された。一方、おそらく札幌では鑑賞者の視線は階段に合わせて光が差し込む上へ自然に見上げるようなより有機的に見える素晴らしい作品になったであろう。この階段のシリーズは作品は設置条件によって形態も意味合いも変化するのであろう。