ディン・Q・レ Dinh Q. Lê

1968年、ベトナムのハーティエン生まれ。1978年、10歳の時にカンボジアのポルポト政権の侵攻とベトナム共産党政権から家族とタイに逃れ難民キャンプで1年ほど過ごし、アメリカのカルフォルニアに移住。1997年に本格的にベトナムのホーチミンに拠点を移し、写真を中心とした素材とした多様な作品は国際的に評価が高い。2007年にホーチミンに展覧会、ワークショップ等を行うアートスペースであるサン・アートを共同設立。

主な展覧会 Selected exhibitions

  • 2020 We Do Not Dream Alone, Asia Society and Museum, NY
  • 2019 Setouchi Art Triennale 2019, Kagawa, Japan
  • 2018 12th Gwangju Biennale - Imagined Borders, Gwangju, South Korea
  • 2015 retrospective exhibition, Memory for Tomorrow, Mori Art Museum
  • 2014 Kochi-Muziris Biennale 2014
  • 2013 56th Carnegie International
  • 2010 Documenta 13, Kassel, Germany
  • 2008 Singapore Biennale, Singapore, Melbourne, Australia
  • 2006 Asia Pacific Triennale
  • 2003 Venice Biennale

作家について About the Artist

ディン・Q・レの作品を語る前に第2次大戦以降のベトナムの歴史をさっと振り返っておく必要があると思う。何しろ私たちのイメージの中でのベトナムは現在の賑わうハノイであったり、アメリカ映画を通して知ったベトナム戦争でしかないのだから。そうしたイメージと現実との狭間こそがディン・Q・レの重要なテーマであるのだから。

フランス植民地時代を経て大戦で日本軍が侵攻。終戦直後に共産党の独立宣言が出されるが翌年にはフランスが再び侵攻。南部にフランスの傀儡政権が樹立され、共産党との間でインドシナ戦争が勃発。フランスの敗北が決定的になった1954年にジュネーブで和平条約が締結され、北緯17度で南北にベトナムは分断される。フランスに代わりアメリカの保護下となった南の開放を目指し59年にベトナム戦争が始まる。61年に米軍が本格的に介入し、64年からは北爆を開始。1975年にサイゴン陥落で北が全国を統一することでベトナム戦争は終わる。一方、カンボジアとの関係が悪化し、1977年にポルポト政権下のクメール・ルージュが国境線を超えてベトナムへ侵入し、虐殺を行う。ベトナム攻勢に出てプノンペンが陥落。1970年代後半から80年代までベトナム、カンボジア、ラオスから140万といわれる人々がインドシナ難民として国外への移住を迫られた。

レの生まれたハーティエンはカンボジアとの国境にあり彼が10歳の時に家族でカンボジアを離れた1978年はちょうどクメール・ルージュがベトナムへの攻撃を行っていた時期にあたる。当時の壮絶な歴史を背景に作品を見ていると戦争が作家のテーマとなったのは自然のことと思える。その一方、移住先のアメリカで再度、ベトナム戦争について接することで新たな独自の視点で戦争を再発見することになる。

1960年代後半になるとアメリカではベトナムで起きている悲惨な状況が写真報道、ニュースなどを通して伝わるようになる。周知のとおり、アメリカでは学生運動と連動しながら大きな反戦運動へと発展してゆく。一方でこの厭戦ムードは出口の見えない他人のための戦いを戦っていることからアメリカ側のストレスに多くを起因していること、また「地獄の黙示録」「プラトーン」等多くのアメリカ映画を通してベトナム戦争というテーマ自体が巨大な産業と化し、アメリカ側からの偏ったイメージが醸成されていったことも見逃せない事実であろう。

これは仕事じゃない、冒険だ ベトナム戦争でのアメリカ兵の死者58,135人(ベトナム戦争のポスター・シリーズ )/ 1989 / Courtesy of the Artist
破壊はお互い様だった カーター大統領 ベトナム戦争のベトナム人死者,200万人(ベトナム戦争のポスターシリーズ) / 1989 / Courtesy of the Artist

アメリカの大学でアートや写真に興味を持つようになったレは写真を素材として使うことを試みるようになる。アメリカ人によって語られる悲惨なベトナム戦争の中にベトナム人が登場しないことに気づいたのもそうした時期であったようだ。初期の作品「ベトナム戦争のポスター」は米国で悲惨な事実として強調される米軍死者58,135人に対してベトナム人の死者が200万人であったこと等、米国で語られないベトナム側の状況を伝える作品で、何種も作られ大学内に貼って回った。これは政治的なメッセージを持った作品であるが、レ自身「アメリカナイズされすぎ」た「100%ベトナム人だとは考えていません」と語るように彼はベトナム側からの告発者としての表現を主眼としているわけではなかったことが後の作品で分かってくる。むしろアメリカで理解されている戦争のイメージが既に実際の当事者たちの手を離れて必要な情報をコラージュしたようなつぎはぎで成り立っていることをレ自身も理解していたのであろう。

Untitled (Metro Goldwyn Mayer) / 2003 / Courtesy of the Artist
Untilted (Columbia Pictures) / 2003 / Courtesy of the Artist

大学の終わりごろに始めたベトナム戦争をもとにした「フォト・ウィービング」という手法は大判に引き伸ばした写真を細長いスリップ状にして編み物のように縦横で縫い上げる手法である。使われた写真の多くはハリウッド映画のベトナム戦争のシーンで、ハリウッド映画はもちろんアメリカ側から見たベトナムであってそこではベトナム人は「小道具」であり、ジャングルの中に潜む見えない相手としてしか現わされない。ここでは「取りこぼされた」ベトナム人のイメージを映画から拾い集め、編むようにして構成している。私たちがものに対して持つイメージは偏ったものであること、そして本来の姿は様々な事象でなり立ったコラージュのようにはっきりとした一つのイメージをとり得ない朧げなものであることに気づかされる。従ってこの手法はベトナムを主題としたものには限らず、様々な主題で再度現れることになる。イラク戦争終結の翌年の2012年に作られた「フォト・ウィービング」ではイラクの古代シュメール文明のモチーフと現代を組み合わせた作品をレは発表している。

この家の貴女へ送る花束 / 2019 / 瀬戸内国際芸術祭、粟島 / Courtesy of the Artist
ナイト&デイ (人生は続く) / 2019 / 瀬戸内国際芸術祭、粟島 / Courtesy of the Artist

幼いころ叔母の手伝いでござを編む作業をしていた思い出が「フォト・ウィービング」という作品につながったとレは言う。ベトナムでは現在も女性たちが捨てられた端切れを編んで家庭用ラグを作っているそうだ。2019年の瀬戸内国際芸術祭でも「この家の貴女へ贈る花束」というござを織った作品を出品している。去ってゆく人々と残された調度品、自らの年老いた母をはじめ女性の手仕事、そうした複層的に重なった記憶と場所の条件が瀬戸内の作品には活かされ、ベトナムの彼女たちが編んだ端切れを瀬戸内に送り、島でござに編み、空家に敷き詰める作品となっていた。レの仕事は大きなコラージュのように断片が一つ一つ、或いはさまざまな物語が複層的に組み合わされて一つの作品へと結実していくうスタイルが多い。

彼方の岸を渡る / 2014 / ライス・ユニバーシティー / テキサス、ヒューストン Photos by Nash Baker © nashbaker.com
彼方の岸を渡る / 2014 / ライス・ユニバーシティー / テキサス、ヒューストン Photos by Nash Baker © nashbaker.com

レは1997年に本格的にベトナムに拠点を移す。本格的にベトナムに戻るのは少年時代以来で20年ぶりで、彼自身のアイデンティティーも既にアメリカ的な要素とベトナム的な要素が織り込まれていたであろう。その分、歴史や状況を客観的に見ることが出来たのではないだろうか。大量の古い写真やポストカードを編み上げたシリーズはこれまで空間に合わせて形を変えながら何度か展示されてきたがまさに膨大な「過去」の重さと質量を感じさせる作品であった。写真やポストカードはそれぞれが個々の人のように弱い儚い存在であるが繋がることで大きな塊になる。それでも寄る辺がなさそうに宙に浮き、一か所が切れると全てが崩れそうな儚い空間に漂う存在だ。

抹消 Erasure (installation view) / 2011 / Sherman Contemporary Art Foundation / Photo: Aaron de Souza 2011
抹消 Erasure より Ⓒ courtesy of the artist

2011年当時、ボートピープルの扱いや難民受入れ問題で紛糾するオーストラリアにおいて出品されたインスタレーション「抹消」(シャーマン・コンテンポラリー・ファウンデーションで展示、のちに世界各地で展示された)で座礁したようなボートの下に海のように床を埋め尽くししていたのも古い写真であった。壁には燃え上がる大航海時代の帆船が映し出されていた。筆者には燃える帆船のアイデアの源は作品からだけでは読み解けなかったが、浜辺に打ち上げられ燃える船はそれに乗ってきたという証拠、歴史を消されているのであろうか。オーストラリア人の多くがかつて西洋からの移民であった歴史事実を。その下に漂うのは忘れ去られた個々の名も無き非西洋の人々だろうか。正しい1つの回答は無いかもしれないが見る者が空想をめぐらす余韻のあるこうした作品は優れた作品だと思う。

バリケード / 2014 / Courtesy of the Artist
バリケード / 2014 / Courtesy of the Artist

現在のデジタルメディア万能の時代に写真や映像など過去のアーカイブをどのように使い、再構成すことで見る者に訴える作品を作りうるか。ここで取り上げた作品はディン・Q・レの作風の一部にしか過ぎない。現在アーカイブ的な作品が非常に増えている中でディン・Q・レのいづれもの作品が決定的に力を感じるのは単に作家の客観的な冷徹な目とテーマを見つける着眼点の面白さだけではなく、もちろん作家本人の経験が大きいのは確かだ。しかしそれを伝える手段としてきちんと見る側に伝わるようにしなければならないという社会性がこの作家には切実に感じられているのではないか。それがこの作家の作品の魅力を大きく際立たせているのであろうと思う。 近藤俊郎

B/W printed on silk / 2018 Ⓒcourtesy of the artist
B/W printed on silk / 2018 Ⓒxourtesy of the artist
B/W printed on silk / 2018 Ⓒcourtesy of the artist
B/W printed on silk / 2018 Ⓒcourtesy of the artist